【書評】私が間違っているかもしれない
2026年たけるんオブ・ザ・イヤーにノミネート確実の1冊。
今回ご紹介するのは「私が間違っているかもしれない」という書籍です。
時は遡り、2026年7月のこと。
とあるイベントであるお店を使わせていただいた際、プロジェクタとUSBのケーブル類をお借りしました。
自分のPCからプロジェクタへ画面投影するためです。
そのイベントが終わってから数週間が経過した頃、お店から僕に連絡がありました。
「ケーブル持ち帰ってないですか?」
僕は答えました。
「いやないと思います。」
その後、よくよく自分のカバンの中のケーブルケースを見てみると、なんと自分のものではないUSB-タイプCケーブルが入っていたんです。
僕は誤って、お店の備品のUSB-タイプCケーブルを持ち帰っていました。
それも長い間気づかないまま。
「あー、やっちまったー」
「ほんとごめんなさいー」
すぐにお店に連絡しました。
僕が間違って持って帰ってしまって本当に申し訳ございませんでした、と。
前にも似たようなこと、あったかな?
はっきり覚えてないけど、あったと思います。
自分は悪くないと思って答えたにも関わらず、あとで自分に非があったと発覚したことが。
今回のケーブルの件で思いました。
僕は、自分の生き方を改めなければいけない。
「私が間違っているかもしれない」と思うようにしなければ、今後も多くの人に迷惑をかけてしまう。
そう思って、ふと手に取ったのが、ビョルン・ナッティコ・リンデブラッドさんの『私が間違っているかもしれない』です。
今回は、この本を読んで僕が感じたことを、そのまま書きます。
本の紹介
まずは、著者と簡単なあらすじからご紹介します。
著者はビョルン・ナッティコ・リンデブラッドさん。
共著はキャロライン・バンクラーさん、ナビッド・モディリさん。
訳は児島修さんで、2025年7月にサンマーク出版から出ています。
ビョルンさんはスウェーデンでエリート教育を受け、経済界で若くして成功した方です。
26歳でCFOに就任しています。
しかし、心の空虚感に耐えられなくなり、すべてを手放して出家。
タイの森の中の僧院で17年間、厳しい戒律のもと修行に打ち込みます。
帰国後は講演や執筆を通じて、「私が間違っているかもしれない」という教えを説き、スウェーデン中で一大センセーションを巻き起こしました。
晩年はALSを患い、死と向き合っていたそうです。
本書は33か国で翻訳されています。
スウェーデンでは、人口1000万の国で44万部。
台湾では、2024年の年間総合1位になりました。
僕は紙の本で読みました。

この本を一言でいうと
この本を僕なりの言葉で表現すると、「私が間違っているかもしれない」という言葉では到底表せられないような、深い1冊でした。
「残されたわずかな人生、このめちゃくちゃ貴重な人生を全身全霊をかけて、一生懸命に生きていく勇気を与えてくれる本」
こんなふうに感じています。
「正しくなくていいんだよ」って自分に声をかけてあげたいなって思いました。
ここからは、僕の心に刺さった言葉を5つご紹介します。
今ここにいるのは、目の前の人のため
1章「気づき」に、こんな言葉が出てきます。
私たちが雑念に気を取られず、今、ここに意識を向けていると、一緒にいる人ははるかに楽しい気分になるはずだ。相手は、私たちを信頼し、注意を向けてくれるようになる。
今、ここに意識を向けることで、私たちはこれまでとはまったく違う方法で周りの世界とつながれるのだ。
瞑想、マインドフルネスの効果を語ったところです。
今ココにいることは、すごく大事だと言われます。
僕は思いました。
その本質は、何よりも目の前にいる人のためなんじゃないか。
人と話をしていて、僕の目を見て「うんうん」って聞いてくれるとき、
「あー聞いてくれてるんだなー」
って嬉しくなります。
僕は、いろいろ考えながら話していると、相手の方をまっすぐ見られません。
いろんなところに視点を泳がせながら話してしまいます。
それでも、聞いてくれてる感が伝わるのは嬉しいんです。
あなたは、目の前の人のために今ココを生きていますか?
人生が辛いときのことは、誰も教えてくれなかった
4章「カラマーゾフの兄弟」では、こんな言葉が出てきます。
「おかしくないか?16年間も教育を受けてきたのに、”人生が辛くなったときにどうすればいいか?”というテーマで何かを教わった記憶はまったくないぞ」
「ほんとそうだわ」って思いました。
子どものときに教えてくれて、一緒に考えてくれる大人がいたらなって思いました。
算数とか国語とか、そろばんとかリコーダーとか、水彩絵の具の描き方とか。
学校で大人に教わった記憶があります。
いわゆるハウツー。
正解といわれるものがあるもの。
でもさ。
大人になると、こんな辛いことがあって。
人生に絶望する瞬間があって。
女性にモテないことは、死にたくなるくらい辛くて。
20歳から40年働いたとして、こんなに社会保険や税金を支払って、とか。
何も教わらなかったもんね。
まあ、学校教育というのは労働者を育てる場所だから仕方ない。
せめて、親や近所の大人に教えてほしかったな。
人生絶望したときに、最悪を想定してこれからどうするかを考えるしかない、ということを。
人生が辛くなったとき、どうすればいいか。
あなたは誰かに教わりましたか?
私が間違っているかもしれない
13章「魔法の呪文」に出てくる、とあるイギリス出身の僧侶の言葉です。
「今度、誰かと衝突しそうになって心に葛藤が芽生えたら、この呪文を3回、真摯に自分に言い聞かせるように繰り返してほしい。好きな言語でかまわない。そうすれば、夏の朝の草の霧のように、不安は蒸発するだろう」
(中略)
私が間違っているかもしれない
私が間違っているかもしれない
私が間違っているかもしれない(中略)
この呪文が、思い出すのが難しいものであることを最初に認めておこうーー特に、一番必要なときに。それでも、思い出したときは、いつもうまくいく。それは、私を謙虚で建設的な方向に導いてくれる。
これは、僕の心に刻みたい。
特に、「一番必要なときに」というところ。
冒頭のケーブルの件です。
「ケーブル持ち帰ってないですか?」と聞かれて、「いやないと思います。」と答えた、あの瞬間。
まさにあのときが、一番必要なときだったんだと思います。

何度でも自分に言い聞かせたい。
私が間違っているかもしれない、と。
小さいことから受け入れていく
20章「奇跡が起こる余地を残しておくこと」では、こう書かれています。
あなたが本当に知るべきことは
必要な時が訪れたら
自ずと目の前に現れる(中略)
私は、この原則に従って生きていると、人生が良いものになると気づいた。
(中略)
それは、人生を信頼し、予想外の出来事を受け入れながら生きていくということだ。
どんな出来事も受け入れる。
面接で何度も落ちても。
女性から何度も振られても。
左膝を怪我しても。
大事なことなんだろうなー。
唐突ですが、実は先週左膝を怪我しました。
雨の日。
歩いていて滑って、アスファルトへ膝を強打。
皮膚が少しえぐれました。
めっちゃ痛い。

「最悪やんけ」
ズボンは破れ、絆創膏や消毒液を買って、痛みを抱えながらの生活。
「最悪やんけ」
こんなとき、受け入れることができたらって。
別に、ちょっと膝を怪我したくらい、なんてことないんだけど。
それでもちょっと凹んじゃったのよ。
こういう小さいことから、受け入れていきたいね。
ちなみに本書には、人生は小さいことの積み重ね、という話も出てきます。
これはまさにスライトエッジです。

17年修行した人でさえ、暗闇にいた
25章「暗闇」には、限界を感じたビョルンさんが考えていたことが書かれています。
僕には彼女もできないだろうし、家族を持つこともないだろう。仕事も見つからないだろうし、家や車を買うお金を手にすることもないにちがいない。誰も僕といっしょにいたいとは思わないはずだ。17年間も精神修行に人生を捧げてきて、その結果がこれだ。
辛すぎる。
読んでいて涙がこぼれそうになりました。
少しだけ、今の自分と重なったから。
頑張っても報われない。
他の人は幸せそうにしてるのに、なんで自分だけこんなんだって。
ここのビョルンさんの言葉は頭から離れられません。
読んでいて、心がギューってなりました。
正直言って、僕自身、いまは良い状態ではありません。
心の話ね。
心臓を素手で掴まれるような感覚。
「このままじゃヤバい。動かないと絶対に後悔する。」
そう思いました。
思うように仕事で成果が出ない。
自分のサービスが売れない。
やりたいことが見つからない。
恋人ができない。
いっぱいありすぎる。
それこそ、まわりは結婚して家族を持って子どもがいて、って感じの人がどんどん増えています。
「一方俺は、自分一人ですらまともに育てていけない」
悶々とします。
まあ、どんなに暗闇の状態にいたとしても、「これからどうするか」を考えるしかないですもんね。
本書を読んだ僕がやること
本を読んでどんな行動をするのか。
僕がやると決めたのは、この書評を書くことでした。
書評というよりも、僕の心のうちをそのまま言葉にしただけです。
なので、読みにくい文章になっていてごめんなさい。
僕がこの書評を通して伝えたいことは、人生しんどい人に読んでほしい、ということ。
何かしら前に進むきっかけになるんじゃないかと思うんです。
そして、この本を読み終わってふと思ったことを最後に語らせてください。
僕らは毎月、「ここち対話」という哲学対話のイベントを主催しています。
でね。
僕は思いました。
対話の魅力って、「僕が間違っているかもしれない」って気づく訓練なのかもしれないって。
人は忘れちゃう。
歳を重ねるたびに、傲慢になってしまう。
「自分は正しい。お前は間違ってる」って。
僕も、老害になってるかもしれない。
普通に生きてると忘れちゃうから。
だから、こうやってたまに自分を見つめ直すことが大事なんじゃないかって思います。
「正しくなくていいんだよ」
そう声をかけてあげたいのは、悩んでいる自分です。
「人生はこうでなければいけない」という固定観念が取れないとき、そっと声をかけてあげたい。
だって、17年間も精神修行に人生を捧げてきた人だって、正しいことなんてわからないんだから。
一生懸命に生きていく勇気を与えてくれる、2026年たけるんオブ・ザ・イヤーにノミネート確実の1冊です。
是非読んでみてください。
おまけ
毎月第四木曜日の夜に『ここち対話』を開催しています。
日常のモヤモヤについて、対話を通して答えを探していこう、という対話の場です。
哲学対話といっても、おかたいものではなくて、心理的安全性を大事にしています。
ここち対話は、「僕が間違っているかもしれない」と気づくきっかけになると思います。
この書評ブログがきっかけで、あなたと一緒に対話することができたら、これほど嬉しいことはありません。
ここち対話の場で、お待ちしてます。
▼ここち対話の詳細は、ここちのイベントページから




